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着物で世界とつながる

2012年の夏、一人の少年Jordiと知り合った。

アイルランドからドイツに移り、日本に帰らずにベルリンでビザ取っちゃえ〜!と勢いだけでドイツに移り住んだ23歳。

大阪にいる時は夜遊びが好きで、毎週末ライブハウスに行き、朝まで音楽を楽しんだ。今から15年くらい前、元ROLLINGSという東京のバンドのリードボーカルACE-Kさんがドイツやイギリスから日本にバンドを呼び、ほぼほぼ一人で全国ツアーをオーガナイズしていた。80年代から欧州で活動しているバンドがジャンジャン日本に来ていて、今思えば、日本にいながら海外のバンドを見れるなんて、かなり奇跡的な体験をさせてもらっていたのね。と感心するばかりである。

そんな良き音楽やカルチャーを10代後半から体験していたおかげで、もちろん長期海外の滞在先はドイツ、イギリス、アイルランドしか候補になかったのだ。

2008年、初めての長期滞在はアイルランド。渡航する前から、音楽、言語、お酒などなど未知の魅力に溢れた国。そんなお国に到着するや否や、アイルランドの虜になったのは言うまでもなく。

アイルランドに滞在しながら、半年に一回はドイツへ行っていた。

今でも定期的に行われている、SKA  FESTIVALに行くためである。

アイルランドに滞在していた2年半の間に、ドイツに住もう!なはぁんてことは一度も考えたことはなく、ドイツやベルリンは私にとって、あくまでも遊びに行く場所。大阪に住みながら、たまに東京に遊びに行くで〜!といった感覚だった。

しかしアイルランドを飛び出し、ベルリンに転がり込んだと同時に、半年間イタリアへ帰国する友人の空き部屋に住んで欲しいと相談され、仕事のオファーもあったり、おまけにドイツは入国後にビザの申請が出来る!という事でとんとん拍子で話が進み、そのまま2年半ベルリンで暮らすことになったのである。

 

人生の波に乗ること。

予想もしていない条件が揃った時、決めるのは頭でなく、こころ。

直感を信じて、迷いもなく、即答でYES!!といってみる。

 

話は逸れてしまいましたが、そんな2012年の夏に出会ったJordiはスペイン・バルセロナ出身。ご両親はアフリカ大陸のギニアという国の出身です。

彼もまたこころのままに生きる、超!フットワークの軽い人。

ベルリン市が運営する夏のドイツ語クラスの、クラスメイトでした。

ドイツ語も大して出来ない私たちが、なぜかB1クラスに潜り込んでしまい、苦悩の1ヶ月が続きましたが、同レベルの私たちはとても仲良くなったのである。

その後、私は日本へ帰国し着物の勉強を始め、彼はスペインの大学、イギリスの大学院へと進み、連絡もあまり取らなくなっていたのですが、2018年、私がパリに移り住み、ちょうど大学院が終わった彼は彼女と共に、私の住む屋根裏部屋の目の前に引っ越してきた。

当時、彼女と結婚を考えていたJordiのプロポーズ作戦を一緒に考え、決行は2019年6月スペイン・タラゴナで。親族の集まるイベントにて。その日は絶対に礼装で参加してや!との事だったので、浴衣を着て、イベントに参加。プロポーズは60人の参加者の前で大成功を納め、皆で踊り狂ったのである。港は比べものにならないくらい、リズム感は悪いけれど、周りに合わせて踊ることは楽しいので、夜遅くまで、アフリカンなダンスを踊り続けたよ。

本当ならば、今年の12月に二人の正式な結婚式は彼女の生まれ故郷のサントメ・プリンシペで行われる予定で、私も参加予定だったのですが、今年はコロナちゃんの影響で断念。結婚式は8月に二人の住むエチオピアで行なわれましたとさ。

世界の結婚式でも礼装として扱える着物は、なかなか役に立つわね。という事で新サービスとして、着付けレッスンをしながら英語も学べるレッスンをこの秋からスタートさせます( ͡° ͜ʖ ͡°)

英語で説明しながら着物を着てみたり、浴衣なら他者に着せてあげれる様になる事を目指して。着物と語学を同時に学び、世界中に着物を着れる人が増えるといいなぁ!と本当に思う今日この頃。

着付技能士 パツコ

パツコ/岡田さお理
2008年〜アイルランド・ベルリン・大阪・パリと移り住みながら、現在は着付け師として活動しております。ハレの日もケの日も一番輝けるあなたである様に、一人一人のお客様に合わせたスタイリング・出張着付けを行っています。着物を着たい全ての人に、着付け教室・各種セミナーなどもご要望に合わせて承ります^ ^
一級着付け技能士。2020年現在は大阪滞在中!
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